Kai Hajimeのおすそわけ

子育てサラリーマンのInputとOutputをおすそわけ

仕事に悩むサラリーマンよ せっかく思いついたアイディア無駄になってない?

こんばんわ。

たいていブログは朝書くのだが、今回は「夜のおすそわけ」

「夜のおすそわけ」なんて書くと、なんだか「艶っぽい」感じもするがそういうことではない。(今後そういうこともあるかもしれないが、、、)

先日記事にも書いたが、僕は今「諸葛孔明」に夢中だ。

 

kaihajime.hatenablog.com

 

今回はそんな強烈に僕を魅了する「諸葛孔明」が実践的な発明家であることがわかるエピソードを一つ「おすそわけ」する。

文中、丞相と出てくるが孔明のことである。簡単に言えば君主を政治面でサポートする最高位の仕事。

当時中国は王朝で君主は王であり、丞相は補佐役だが政治的にはトップの座。現在の日本であれば天皇は象徴であり君主でもなく政治にもノータッチ。さしずめ丞相とは政治的権力者・責任者である首相といったところ。 

 

 

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知識を実務に応用する

丞相が隆中(りゅうちゅう)で晴耕雨読の生活をしていたころの話だ。

丞相は自分の畑で育てたイモを知人に頼んで市場で売ることで、書物の代金に充てていた。

 

隆中の農家では、イモの収穫時期が一年で最も忙しくなる。収穫するだけでなく、値付けや販売も自分たちでしなければならないからだ。

値付けは、イモを大・中・小の三つに分けて行う。この選り分け作業は骨の折れる仕事だ。普通は一家総出で、一個一個土を落としながら仕分けしていく。

どの農家も早起きし、真っ黒になりながらこの作業を行う。

そして市場に運ぶのだが、結局値付け作業を早められるかどうかが売り行きを左右する。早く売り出せばそれだけ他の者よりも多く売ることができるからだ。

 

しかし、丞相のところは選り分け作業をせずに市場に運んでいた。それでは市場についてからその作業を行うことになり、かえって売るのが遅くなるのだが、いつもそうしているようだ。

しかも、それではおそらく少ししか売れないはずなのに、市場から戻ってくるときは書物をたくさん仕入れている。

 

隣の家に住む農夫は、このことが不思議でしょうがなかった。

「いったい、どんなカラクリがあるのだろう?」

そう思った農夫はある日、丞相のイモを運ぶ男の後ろをつけた。

男は、麻袋の中におもむろに土のついたイモを入れ、丞相の家の前に置いてある手押し一輪車の上に積むと、そのまま、山道をゴトゴトと車を押して、市場に向かった。

市場に着くと、麻袋からイモを一つ一つ取り出して、筵(むしろ)に並べていくが、不思議と自然に大きなイモから小さなイモへと並んでいく。しかも、土はきれいに取れている。

丞相は、篩(ふるい)を通せば小さな物が下に、大きな物が上に選り分けられるという現象を応用したのだった。一輪車が山道をゴトゴトと行くことで自然に篩い分けが行われ、袋の中でイモがこすれあうことで土も落ちていく。

 

「効果的にイモを選り分け、多く売る方法はないか?」

 

丞相はそう考えて、書物から得た自然現象の知識を応用したわけだ。

知識を思考に結びつけて、最良の方法を創造する好例といえる。

(諸葛孔明・人間力を伸ばす七つの教えより)

 

まとめ

丞相の周りの農家は合理的な方法を模索することなく、あきらめムードで重労働をしていたのだろう。

そこで、市場に一番乗りで行って「早いとこ売る!」ことがポイントと考えた。

また市場への道中でイモの選別、土落としが同時に出来る機能をもった一輪車を発明した。そうすることで誰よりも先に、イモを手動で選別することなく、誰よりも簡単に商売を始めることができた。よって誰よりも楽ができたし、お金も儲かった。

 

他人が見向きもしない問題点を見つける

カラクリを知れば簡単なことだと思う。

しかし、普段困ってることで「本質を見過ごしたり、問題に目を向けること、思考することをせずあたふたしたり」。「オモロイと思っても、言い訳やできない理由を探して取り掛からない」なんてことが日常的になってはいないだろうか?

アイディアを見逃したり、行動せずに時間だけが過ぎていくことが、とても残念なことだと気付かされるエピソードである。

 

失敗してもイイから試しにやってみる

丞相は楽するところ、自動化できることは全て道具に任せている。

合理化の徹底である。当時そんな便利な道具など存在しない。

存在しないなら作ってしまう。

発想力に加え、行動力もある。

上のエピソードには失敗談はないが、丞相は「選り分けのできる手押し一輪車」を作る時必ず何度か失敗しているはずだ。何度か試行錯誤した結果である。

 

学びから得た知識を知恵に

なんといっても、解決策はカラクリでもなんでもない。

身の回りに起こる、ごく当たり前の自然の出来事である。

解決したい問題があっても、普段から学び、知識を蓄えないとアイディアの引き出しは空っぽのままだろう。

まさに「知識を実務に応用する」大切さを、丞相が教えてくれている面白いエピソードだ。

 

ますます丞相に惹かれる今日このごろ。

 

読んでいただいた方へ

ありがとうございます。

 

Kai Hajime